_
『
JB Press 2013.10.30(水)
http://
jbpress.ismedia.jp/articles/-/39022
馬英九総統を悩ます「現状維持」の足かせ台湾の住民は中国との一体化を望まない
9月末に台北で政府系シンクタンクとシンポジウムを行い、10月半ばには東京で馬英九政権に近い人物と懇談する機会があった。
現在2期目の馬英九政権は、事実上任期最終年となる2015年が次期総統選挙のため、思い切った活動ができない。
だとすれば、
総統として存分に活動できる期間は残り1年強だけである。
その間における
馬英九政権の対中政策はどのようなものになるのか。
経済関係の深化は進めたが政治関係は後回しにしてきた中国との関係に、何らかの突破口を開くことができるのか。
その場合の内外の反応はどうなのか。
今回は、台湾の現状について感じるところを述べることにしたい。
■中台関係の改善が日台関係に与えた影響
まず確認しておきたいのは、
2008年に馬英九政権が台湾に成立して以来、急速に中国との関係改善を進めてきたことだ。
「三通」(通商、通航、通郵)が2008年末には実現し、中台の自由貿易協定に相当する「ECFA」(経済協力枠組み協定)も2010年9月に発効した。
結果として
台湾における中国人のプレゼンスは極めて大きなものになった。
2012年には200万人を超える中国からの観光客が台湾を訪れ、彼らを運ぶ中台の直行便は週616便にまで増えた。
台湾の観光地はどこも中国人観光客が幅を利かせている現実がある。
こうした台湾海峡両岸の関係改善が、
実は
日本の台湾政策における自由度を高める結果となったことは強調しておきたい。
中台関係が緊張していた国民党の李登輝総統の時代、その後を受けた民進党の陳水扁総統の時代においては、
「中国は1つであり、台湾は中国の不可分の領土である」
とする中国の強烈な反発を恐れて、
日本政府は台湾との関係を「敬して遠ざけていた」と言っても過言ではない。
しかし、事実上「1つの中国」を受け入れる「92年コンセンサス」を対中政策の基本とした馬英九政権が中台の関係改善に踏み込んだことによって、日本政府は中国への配慮を軽減することが可能になったのである。
その実例として、例えば2011年9月の日台投資保護協定の締結がある。
また、日本に長期滞在する台湾人の日本における在留カードの国籍記載が、従来は「中国」であったところ、2012年7月から「台湾」に変更されたことが挙げられるだろう。
来年には東京の国立博物館と九州国立博物館で「台北・故宮博物院展」の開催も予定されている。
中台関係が厳しいままであったなら、こうした実績は作りようもなかっただろう。
さらに言えば、このような日台関係の進展は日中関係の影響を受けずに済んだという事実も指摘しておくべきだろう。
尖閣諸島問題で日中関係がいかに緊張しようとも、日台関係が大きく揺らぐことはなかった。
ただし、台湾も尖閣諸島の領有を主張してきた経緯があり、馬英九総統本人も、米国留学時代に尖閣諸島の領有をめぐって学位論文を書いたという実績もある。
とはいえ、台湾がこだわったのは台湾漁民が伝統的に漁を営んできた尖閣諸島海域における漁業権であったことは明らかで、2013年4月に日台漁業協定が締結され、同海域における漁業権が確保されたことによって、台湾における尖閣諸島問題は現在沈静化している。
この問題で「あてが外れた」のが中国だ。
中国は尖閣諸島問題で台湾との「共闘」を目論んでいたが、馬英九総統はこれを拒否した。
中国に台湾の立場を政治利用されるのを嫌ったことは明らかだ。
■中台の関係改善で米中の軍事交流が軌道に
中台の関係改善による恩恵を蒙ったのは日本ばかりではない。
米国も当てはまる。
というのも、台湾は米中にとって「喉に刺さった魚の骨」のような存在で、常に米中の関係を阻害する要因であったからだ。
米国が台湾の求めに応じ、防衛用の兵器売却を決めるたびに、米中の軍事交流は中国側によって停止されてきた。
中台の関係が改善されたことによって、中国の台湾侵攻の切迫性が薄まり、結果として台湾への武器売却はオバマ政権になって以降、低調になっている。
具体的に言えば、台湾がブッシュ前政権時代から米国に要求してきたF-16C/D型戦闘機66機の新規供与は現在も塩漬けにされたままである。
オバマ政権は2012年9月、台湾が1990年代から運用してきた旧型のF-16A/B型145機のレトロフィット、つまりレーダーなどの装備を新型に更新する「能力向上」を認めることでお茶を濁したにすぎない。
その甲斐あって、米中の軍事交流は軌道に乗り、8月には中国の常万全国防部長が訪米したほか、人民解放軍制服組の米国実務訪問も頻繁に行われるようになった。
2014年夏には、ハワイ沖で行われる環太平洋合同演習(RIMPAC)に中国海軍が参加することも決まった。
もちろん、だからといって米台関係が冷え込んでいるわけではない。
2012年11月には台湾は米国入国の際のビザ免除の措置を付与されている。
2013年3月には米国との間で「台米貿易・投資枠組み協定」(TIFA)の協議を再開し、8月には中南米を歴訪する途上、馬英九総統がニューヨークを訪問。ブルームバーグ市長や米議会関係者と接触したほか、在米華僑の歓迎会に出席するなど、いわゆる「トランジット外交」を展開し、台湾の存在をアピールしている。
■中国と経済一体化するも景気下降から脱却できず
馬英九総統は「和中・親米・友日」という、いわば「全方位協調外交」を標榜してきた。
今のところ、この路線は成功しているように見える。
しかし、本当にこのままうまくいくかは疑問だ。
「和中」を突き詰めていけば、経済関係にとどまらず政治関係に踏み込んでいかざるをえない。
実は経済関係についても、馬英九政権の目論見通りに事態が展開しているわけではない。
中国の経済成長を台湾に取り込むことができていないのだ。
台湾経済の指標を見ると、
台湾の海外投資の「60%以上」が中国向けである。
貿易総額で見ても「28%」が中国・香港で、中台の経済的一体化は紛れもなく進展している。
しかし、台湾経済はリーマン・ショック後の景気下降から脱却できず、低成長に喘ぎ、失業率は高止まっている。
台湾の有力紙「聯合報」が2013年5月に行った調査では、台湾住民の76%が馬英九総統の経済運営に不満を持っているという結果が出ている。
9月に入って、馬英九総統の支持率は、王金平立法院長(国会議長に相当)との「司法介入」による罷免騒動もあって、9.2%という記録的な低さを記録した。
急速に求心力を低下させている馬英九総統に対し、中国の「政治協議」圧力も高まっている。
10月6日、APECの会議で台湾の蕭万長・前副主席と顔を合わせた習近平主席は、中台の政治問題を「次の世代に先送りすべきではない」とクギを刺した。
また、同月11日に上海で開催された「両岸平和フォーラム」に出席した張志軍・国務院台湾事務弁公室主任は、
政治的対立を一時的に棚上げすることはできても、長期にわたって完全に回避することはできない」
「経済だけで政治を扱わないというやり方は続かない」
と述べ、台湾に圧力をかけたのである。
■台湾住民は「現状維持」を望んでいる
しかし、馬英九総統に、中国との政治協議に踏み込む余裕はないはずだ。
台湾住民はことのほか中国との「統一」に結びつく政治協議には敏感に反応する。
2011年、再選をかけた馬英九総統は10月17日の記者会見で、条件を付けつつも中国との平和協定締結の可能性に言及した。
その直後から支持率が低下し始め、動揺した馬総統はすぐに
「平和協定締結時には、その可否を住民投票にかける」
と弁明した経緯がある。
「統一」「独立」「現状維持」を問う世論調査で台湾の民意を見ても、常に「現状維持」を支持する声が半数を超えている。
住民のアイデンティティを問う世論調査でも、
★.「私は台湾人だ」という回答が昨年の段階で
54%と半数を超えているのに対し、
★.「私は中国人だ」という回答はわずか
3.6%にすぎない。
かつては半数近かった
★.「台湾人でもあり中国人でもある」という回答は漸減し、
38%に下がっている。
経済が一体化する一方で、
台湾住民の心は中国から遠ざかりつつある現実がある。
台湾の「現状」を大きく変えることにつながる中国との政治協議を、台湾住民が支持する状況にはない。
それにもかかわらず、馬英九総統の認識はまだ甘いのだろう。
今年10月10日の建国を記念する双十節で演説し、
「海峡両岸の人々は同じ中華民族に属する。両岸関係は国際関係ではない」
と述べた。
「国際関係ではない」という部分について批判を受けた後の釈明で、
「
中国と台湾との間に存在するのは特殊な関係であり、国際(international)でも国内(domestic)」でもない」
と言い繕った。
この問題は国会に相当する立法院でも取り上げられ、民進党の蕭美琴立法委員が国防部長の厳明に、
「
総統は両岸関係を“国際関係ではない”と表現したが、あなたならどう表現するか」
と問いかけた。
厳明部長はこれに対し、
「
敵対関係のままである」
と明快に答えた。
政権内部でも対中国政策ではまとまっているわけではないことが露呈した印象だ。
台湾が中国の圧力に屈し、政治協議に応ずれば、中国が高い優先順位で提起してくる問題は、米国からの武器購入の停止であろう。
台湾がこれを受け入れた途端、米国の「台湾関係法」はただの「紙切れ」になり、台湾の安全保障は中国に委ねられることになる。
同時に、台湾住民が支持する「現状維持」は不可能になる。
一見うまくいっているように見える
「和中・親米・友日」という政策は、
「台湾が政治的にも経済的にも、さらに安全保障的にも事実上独立しているという現状」
を維持していることが前提となる。
そのことを馬英九政権は再確認する必要があるだろう。
阿部 純一 Junichi Abe
霞山会 理事、研究主幹。1952年埼玉県生まれ。上智大学外国語学部卒、同大学院国際関係論専攻博士前期課程修了。シカゴ大学、北京大学留学を経て、2012年4月から現職。専門は中国軍事・外交、東アジア安全保障。著書に『中国軍の本当の実力』(ビジネス社)『中国と東アジアの安全保障』(明徳出版)など。
』
【日中の狭間にあって:台湾はどう動くか】
__